レポート3:「いくの学園との出会いとこれから期待するもの」を公開しました。

いくの学園との出会いとこれから期待するもの

大阪弁護士会初女性会長・いくの学園理事 石田法子さん

1.出会い

今から30年程前、私もいくの学園理事長の渡邉和惠さんもまだ30代半ばのころ。大阪に帰る新幹線を待つ東京駅ホームで、突然、渡邉さんが、思いつめた声で、「私、今年は、売春やろと思てんねん。一緒にやれへん?」と、言い出した。

「渡邉さん、何を言い出す」と私もギョッとしたが、列の前の男性がもっとギョッとした顔で振り向いた。渡邉さんはそんなものに目もくれず、「いま、大阪の婦人保護施設が、廃止されようとしてるねん。売春問題はまだ解決されていないのに。なんとかせなあかん」と、続けた。私が、「ああ、売春問題への取り組み・・・」と安心すると、心なしか前の男性の背中もほっとしていた。

そして、大阪までの車中で、売春防止法のこと、婦人保護事業のこと、婦人保護施設としての生野学園の歴史等々をたっぷりと聞かされた。それが生野学園との出会いだった。

1982年、「大阪府の婦人保護事業を守る会」が結成され、生野学園の現地建替運動が始まり、もうどんなことをしたかほとんど忘れたが、渡邉さんに連れまわされたことだけが記憶に残っている。しかし、運動の甲斐なく、1997年、婦人保護施設の統廃合で、生野学園は廃止された。

2.DV被害者保護施設として

しかし、戦後数年からずっと弱い立場の女性に長くかかわってきた経験豊かなスタッフは、これで挫けることはなく、おりしも社会問題となってきたドメスティックバイオレンス(以下、DV)の被害者救済に乗り出し、1998年、「女のかけこみ寺・生野学園」を開設した。名称通り、被害女性が駆け込める施設である。

私が初めてDV事案を担当したのも、同じころだった。当時、DV防止法は、まだ立法化されておらず、救済困難なケースが少なくなかった。民間シェルターを中心とした立法要求活動の結果、2001年、DV防止法が制定された。

次々と駆け込んでくる被害者のお世話に奮闘するスタッフの皆さんの活躍は、本当に頭が下がるものだった。私たち女性弁護士も、交代で生野学園の法律相談を担当し、支援に協力した。この年、生野学園は、NPO法人「いくの学園」となったが、同じ年、大阪弁護士会は人権賞を新設した。この賞は、民間で身を削って人権活動をされている方々への賞賛とエール、そして今後の連帯への思いを込めたものであるが、2002年の第一回の受賞者は、生野学園そしてやはりDV被害者の支援グループが同時受賞をした。当時、私は大阪弁護士会の人権担当副会長であったが、日ごろ、スタッフの皆さんのご苦労を知っているだけに、この受賞が本当にうれしかった。

3.これから期待するもの

DVが不法行為であるという社会的認識は広まり、DV防止法は改正され、少しずつではあるが使いやすいものになっているが、被害の根源を断てないまま被害数は増加の一途をたどっている。
行政の保護・支援機関の受け入れ体制も整いつつあるが、今もなお、民間シェルターの役割は大きい。

民間シェルターには、被害者に寄り添いニーズを探る熱い思いがある、また迅速性、機動性、柔軟性も、被害の支援には欠かせない。行政に充実した施策を求めていく大きな力でもある。

その一方で、民間シェルターは、慢性的な財政的困難と人材不足と後継者の育成に悩んでいるところでもある。安定した基盤のためにも、行政との一層の連携と支援が必要であることは言うまでもない。

いくの学園がDV被害の支援に果たすべき役割はまだまだ大きい。私もずっと生野学園といくの学園を見続け、維持会員として、また理事の一人として、また弁護士として、今後もずっといくの学園とお付き合いをしていきたいと願っている。

スタッフの皆さん、女性の権利擁護のため、今後も一緒に頑張りましょう。


石田さんありがとうございました。

※この記事はホームページ掲載のため、2015年8月に寄稿いただきました。
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