レポート10:「『いくの学園は「みんなのいえ」』10 年をふりかえって~(1)民間シェルターの立ち上げ」を公開しました。

『いくの学園は「みんなのいえ」』10 年をふりかえって~ (1)民間シェルターの立ち上げ

 いくの学園は 2018年に設立 20 周年を迎えます。それに際し、20年前の1998年、学園設立時の想いを記事にしたものをご紹介します。この記事は 2008年・設立10週年の折、発行した記念誌『いくの学園は「みんなのいえ」』に掲載したものです。

民間シェルターの立ち上げ

いくの学園の開設準備期間には、日本各地のシェルターを見学に訪れました。札幌の「女のスペース・おん」は、市民運動の担い手が提起して設立された、女性のためのネットワーク事務所です。1997年3月に、事務所とは別の場所にシェルターを設立。そのニュースを聞きつけ、9月には、いくの学園のメンバーが見学に訪れました。民設民営でシェルターを運営していくノウハウを求め、手探り状態でした。

いくの学園のシェルター開設の折には、「女のスペース・おん」の近藤恵子さんからメッセージをいただいて、連帯を強く感じました。

「ひとり、またひとり、暴力の鎖を断ち切って新たな人生を創りあげようとする女たちが登場しています。

いくの学園のみなさんが、これまでの仕事と志を継いで駆け込みシェルターを旗揚げされると聞き、大きな喜びと励ましを感じています。性暴力の根絶を願う多くの女たちの活動が、この社会を動かしつつあります。〝北〟の女たちの想いをお受け取りください」。

関西や全国の仲間から応援を受けながら準備を進め、11月には「呼びかけ人会議」を開きました。以後、連日のように「支える会」への加入申込が寄せられ、なかには遠く東京、神奈川からも申込がありました。

結成総会に200人

1998年2月28日、「大阪の婦人保護事業を守る会」の総会と、「いくの学園を支える会(発足当時の名称は「女のかけこみ寺・生野学園を支える会」)の結成総会が200人余りの参加で開催されました。

「守る会」総会では、(1)「大阪府女性福祉条例」制定など女性の社会的地位向上を目指す、(2)売買春の根絶、(3)大阪女性相談センター、大阪府女性自立支援センターなど婦人保護事業の拡充、(4)「いくの学園」の運営に協力し、民間シェルターへの公的助成を求めることを活動方針として確認しました。

渡辺和恵弁護士が次のような設立趣旨を提案しました。

「1995年、北京で開かれた世界女性会議は、女性たちが暴力によって生命や生活をおびやかされており、そんな女性たちのために逃げ込める場所をたくさん作ることを確認しました。日本の女性は世界の女性たちと比べて、〝まだまし〟と思っていたが、現実には多くの人たちが生命まで落としている状況が〝豊かな〟日本で起こっています。こんなことをなくしていきたい」

女性の生命とくらしを守る砦

続いて、「売春に陥らされている女性たちは被害者であり、女性たちが被害にあわないように予防することが国家や国連の責任です。行き場のないために暴力で死に至ったり、あるいはそこから逃れられる場所が売春産業しかなかったりなど、本当に人格を傷つける状況を私たちの足元からなくしましょう。売春や暴力の根絶は女性の地位向上の重要な柱であり、この世界的な確認事項を各国で実現していく実践のひとつとして〝支える会〟の発足を位置づけ、女性の生命とくらしを守る砦として活動していきます」と述べました。

さらに、将来的にはシェルターと事務局を別にして、女性たちが安心できるシェルターをいくつも設け、認可施設として再編成していくこと、全国のシェルターや関係機関と連携することなどの展望を語りました。

仕事が早い、おもろい、あったかい

開設当初は、地域の人たちに少しでも役に立てればと思い、「いくの学園福祉相談室」の看板を貼り、玄関の入り口に椅子を置き、戸はいつでも誰でも入って来やすいように開けっ放しでした。地域の独居老人や、障がい者の相談などもしていました。

DV防止法ができるまでは、行き場のない人は女性であれば、誰でもとにかく相談に来て最低でも1泊はOKにしていました。そして相談の後、大阪府下の人であれば、母子の場合は、住所地の福祉事務所に電話して、生活保護の必要な方は生活保護担当者と母子係に一緒に来てもらい、申請手続きをしていたので2週間も待たずに施設入所できていました。

福祉事務所からこちらには何の相談もしないまま、九州から飛行機に乗せ「大阪空港に着いたら、いくの学園に電話するように」とメモと薬を渡された子連れの母親や、北陸から特急に乗せて、「大阪駅に着いたらいくの学園に電話するように」とだけ言われた母親などもいました。そんなときは、すぐに相手の福祉事務所に電話をして、こんな無責任なことをしないよう言い、生活保護は、次の行先に移ってからも1ヵ月はかけるよう依頼し、了解を得ていました。また、そのころ、公的な広域利用が十分ではなく、全国のシェルター同士の入所依頼も多かったように思います。配偶者暴力相談支援センターができる前から、婦人保護施設時代の経験を生かして対応していました。

そのころ、スタッフの間で定番になっていたセリフが、「いくの学園は、仕事が早い、おもろい、あったかい」でした。退所者アンケートには「楽しい日々だった。幸せだった」と感想を寄せられることも多く、ボランティアさんがシェルターの玄関を開けた途端、「外にも、よう笑い声が聞こえるわ」と言って、一緒に笑いの輪に入るという日々でした。

NPO法人化、そして「人権賞」受賞

発足して3年、2001年3月にはDV防止法が成立。加害者に対する退去命令、接近禁止を含む「保護命令」が導入されました。充分とはいえないまでも被害者保護が前進することに喜び、いくの学園の取り組みが時代に必要とされていることを強く実感した時期でもありました。同年8月、いくの学園はNPO法人格を取得。それにともない事務所と一体だったシェルターに加え、ステップハウス(長期自立支援施設)をオープンしました。

2002年4月7日には、大阪弁護士会から第1回「人権賞」が贈られました。人権賞は、関西を拠点に人権擁護などに取り組む個人・団体を対象に設けられたものです。同じ民間シェルターである「スペースえんじょ」とともに受賞しました。今では、民間シェルターも全国各地に増えましたが、このころはひとつのシェルターが果たす役割は非常に大きく、責任も強く感じていました。活動を評価され人権賞を受賞できたことは、DV防止法の施行とともに、この年のうれしいニュースでした。

4月1日より、DV防止法が施行され、7月より一時保護委託が始まりました。委託された利用者に限り、いくの学園の利用料を支払わずに済むことになりました。

女のかけこみ寺・いくの学園を支える会 設立趣旨

平等、発展、平和の前進をめざす世界女性会議は21世紀への行動綱領を決めました。そのなかで、売春や暴力などの根絶は女性の地位向上の重要な柱の一つであり、政府及び関係機関が積極的に対策の充実をはかることを強く求めています。
我が国でも「女子に対するあらゆる差別撤廃条約」が批准され、女性の地位向上が取り組まれていますが、最近援助交際の名による少女売春の広がり、妻や子どもを虐待する夫の暴力の拡大、さらにサラ金、麻薬、家出、殺人など、差別と人権侵害を根底とした諸事件が増加しています。
金なく、職なく、住むところのない、相談相手もない、さまざまな生活上の困難をかかえ、一時的に身をかくし、自分の生き方を考え、心の安らぎを求める女性を保護する施設は、法的に売春防止法による婦人相談所及び婦人保護施設しかありません。しかもこの施設も「行革」の見直しの対象とされ、拡充されるどころか縮小されています。
大阪でも1997年3月31日をもって生野学園ほか2施設が統廃合され大阪市内に婦人保護施設(かけこみ寺)がなくなってしまいました。私たちは45年にわたる生野学園の経験と教訓を生かし、売春防止法の枠にとらわれず国際都市大阪市内にいつでも、どこからでも、利用しやすい民間の「かけこみ寺」 を設置し、女性の人権といのちと暮らしを守る「とりで」として活動します。この会は誰でも参加できます。多くの方々の加入をお願いします。

 


※この記事は10周年記念誌「みんなのいえ」より一部抜粋いたしました。当時の時代背景や内容を尊重し、表現は原文のままです。

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