前理事長 弁護士 渡邉和惠
「よう来たねぇ。」やっとの思いでたどりついた女性を迎え入れる時のあの言葉。大阪府立であった婦人保護施設生野学園で出会った言葉が、私を女の駆け込み寺と称した「いくの学園の虜」にしました。あれから36年が経ちました。

「困った時はお互い様や」という言葉が行き交う大阪の街で育った私が、この言葉が本当に実践されていることを知ることになったのも大阪府に対する「生野学園つぶすな運動」を進めた15年間と、自力で立ち上げ自主運営してきた20年余りの皆さんとご一緒させて頂いた年月でした。

この間、1975年に始まった国際婦人年は、平等・発展・平和のスローガンを掲げた国連女性に対するあらゆる形態の差別撤廃条約に結実し、すべての「人間の尊厳」を害する暴力廃絶に向けた世界の動きがありました。世界でまき起こった動きと軌を一にして大阪で生まれた小さな生命の灯が今日も燃え続けていることを誇りに思います。

この運動を温かく包んで頂いた大阪母親大会連絡会の菅原藤子さんから引き継いだ理事長の役割を今度、次世代の雪田樹理弁護士に引き継いで貰うことになりました。

一時保護事業活動の中から懸案のアフター・ケアを充実させた事業が始まっています。新事業に向けて沢山の善意のご寄付をいただき、皆様のご期待をひしひしと感じています。私はこれからも一理事として、皆様と共に歩んでいきます。

「いくの学園」に変わらぬご厚意をいただけますようお願い致します。

新理事長 弁護士 雪田樹理
この度、渡邉和惠前理事長の後任として理事長を務めさせていただくことになりました。

私がいくの学園と関わり始めたのは、1998年、民間シェルターとして「女のかけこみ寺・生野学園」がスタートした時です。ちょうど2年間のイギリス遊学で、DV法やシェルター運動などの国際的な到達点を学び、DV被害者支援に携わりたいと決意して帰国したときでした。いくの学園で法律相談を担当させていただくようになり、また、2004年からは、NPO法人いくの学園の副理事長として関与させていただくようになりました。

1982年から、大阪府の婦人保護事業の灯を消さないという熱い思いで、「大阪の婦人保護事業を守る会」の先頭に立ち、いくの学園を支え続けてこられた渡邉前理事長とは違い、婦人保護施設当時のことや「守る会」の闘いを直接は知りません。

しかし、社会の中で最も底辺に位置付けられ、不当な差別や偏見を受けながらも、それぞれの人生を必死で生きていたであろう女性達を温かく迎え入れ、彼女たちの目線に立って、支え続けてきた「婦人保護施設」としての、逞しくかつ包容力に溢れた現場の精神を想像することはできます。

「人は人の中で守られる」と言う、いくの学園のモットーを基本に据え、「シェルター事業」と「生活回復支援事業」を両輪に、4つのミッションを実現するために、微力ながら理事長の職務に邁進したいと考えています。

皆さまのご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。

新副理事長 弁護士 髙坂明奈

今回、副理事長に就任することになりました。髙坂明奈です。私がいくの学園に関わることになったきっかけですが、2007年に司法試験に合格して、法曹を目指し、研鑚を積むためのいわゆる司法修習の期間に、私はいくの学園で研修をさせてもらいました。

研修中には、スタッフの仕事ぶりを間近で見ることができました(入所者との対話、電話相談、買い出しや掃除など様々)。また、実際に自分自身がバザーの準備やシェルターの部屋の掃除などをすることで、入所者や退所者の方の生活に少しだけですが触れることができました。そして、当時、スタッフが退所者へのアンケート調査の取りまとめを行っており、シェルターを退所した方の心理面、経済面、生活状況などを伺い知ることができました。逃げてもなお、心理的に加害者に追い詰められる被害者の方を目の当たりにして、当時、大きな衝撃を受けたことを覚えています。

今現在、私は、その研修から10年の時を経て、弁護士として、DV等の暴力の被害者の方の相談を日々受けております。研修で学んだこと、感じたことを忘れたことはありません。事件が解決し、依頼者の方が笑顔になってくれることがうれしく、この仕事を続けています。

いくの学園は、昨年4月に認定NPO法人に認定され、ホームページもでき、退所者支援のための事業もできました。変化と発展を続けるいくの学園と共に、私もさらなる成長をしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

理事長・副理事長交代のお知らせ